2011年5月10日火曜日

東京新聞5/9付けの「私説・論説室から」

『福島県内の学校では、被ばく線量の暫定的な上限を年間二〇ミリシーベルトと設定している。この線引きに強い懸 念を示し、涙ながらに「内閣官房参与」を辞任したのが、小佐古敏荘(としそう)東大大学院教授(放射線安全学)だ。専門家の“抗議の辞任”だけに、あらた めて二〇ミリシーベルトという基準を考えてみたい。
静岡県にある中部電力・浜岡原発の下請け労働者が一九九一年に骨髄性白血病で亡くなった。二十九歳の若さだった。原発で働いたのは八一年三月から八九年十二月までの八年十カ月。炉心下部にある計測器の保守などを担当していた。
この青年が働いていた間に受けた被ばく量は、五〇・六三ミリシーベルトだった。単純に年単位で割り算してみると五・七ミリシーベルトである。実は 青年の死は九四年に労災認定された。つまり、骨髄性白血病と放射線被ばくとは因果関係があると労働基準監督署が判断したわけだ。
被ばくが原因で白血病などのがんを発症し、労災認定を受けた原発労働者は、七六年以降で十人いる。累積被ばく線量は最大一二九・八ミリシーベルト、最小で五・二ミリシーベルトである。
これらの事実を知れば、子どもが通う学校で、二〇ミリシーベルトを基準に考えて大丈夫なのかと、本当に心配になる。小佐古氏は「ヒューマニズムからも受け入れがたい」と政府を批判した。
とくに子どもは放射性物質の影響を受けやすい。二〇ミリシーベルトの許容は楽観的すぎる。 (桐山桂一)』


仰りたいことは最後の一行「 とくに子どもは放射性物質の影響を受けやすい。二〇ミリシーベルトの許容は楽観的すぎる。」という事でしょう。その点には同意しますが、「これらの事実」は基準を厳しくすべき理由としては弱すぎます。

 亡くなられた下請け労働者の方はお気の毒ですけど、「労災認定」されたという事と臨床検査で証明されたという事は開きが大き過ぎます。労災認定は臨床結果が出るまでには時間が掛り過ぎるので、「因果関係があったものとみなす」救済措置的なものです。

臨床検査の結果因果関係が証明されたという事実が取材で明らかになったのなら、そちらを書けば良いだけの話。

「涙ながらに」「浜岡原発」「下請け労働者」「骨髄性白血病」「ヒューマニズムからも受け入れがたい」…如何にもなお涙頂戴の言葉を並べ立てていく手法で反論を封じ込めよう、読者の共感を得ようというのは、数値が最重要であるはずの基準値批判に成り得ないのでは?

基準値の参考とすべき年間被曝量の数値も、わざわざ「浜岡原発で働いて若くして亡くなられ労災認定された 青年」「他の労災認定された方々」の数値を出さずとも、平時の大人の基準値が年間1ミリシーベルト。特殊な場合でも5ミリシーベルト。であり、ICRPが勧告した「緊急時20~100ミリシーベルト」は避難などによる環境変化で発がんリスクが高まる場合と比較して柔軟に運用すべきと提言したもので、事故直後ならともかく平時に近い生活を送る子供たちには同様の基準値を設定すべき、と書けば良いのでは?

一般の大人の場合、野菜不足による発がんリスクは100ミリシーベルト相当。塩分過多が200ミリシーベルト相当。運動不足や肥満が400ミリシーベルト相当。子供たちの場合は諸説多くはっきりしませんが、被曝限度も含めて信ぴょう性の高い望ましい数値ならいくらでも発表されてるはずです。それらを使えばもっと良い書き様があったんじゃないでしょうか?

ヒューマニズムを徹底して排除する方が心に重く響く記事になると、この記者は考え無いのでしょうか?

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