2012年3月7日水曜日

三ヶ月振りの更新

小学五年生の時に両親が離婚。最後の話し合いの場に同席していた10歳の私。酒を呑んでもいないのに饒舌な父は自ら離婚を切り出せずに回りくどい話ばかりしていた。母は母で子供たち(私と弟)への気遣いと、父が暴れるのではないかという恐怖心から離婚を切り出せずにいた。

「離婚した方がいいよ。」と切り出したのは小学五年生だった私。

”三つ子の魂百まで”とはよく言ったもので、今でも余計なお世話をしがちな私は、両親の最後の話し合いの場でも余計なお世話をしたのだ。

”口にしてしまえば全てが終わってしまう”と、両親は考えていたようだが、離婚しても私の両親が二人であることに変わりはないと考えていた(深く考えたり悩むまでもなくそれが事実だった)ので、”時”が来たのに悩んで口にできずにいた両親に代わって、あっさりと言ったのだった。

その後の関係はなりなりに良好。母についた私と弟はたまに三人で父の元へ遊びに行ったり、母に断りもなく勝手に私一人で父の様子を覗きに行ったりした。

そんな関係も、父の放浪癖と慰謝料未払いと酒乱気味が原因で徐々に疎遠となっていった。私は父のそんな部分を嫌だなあとは思ったけれど、父そのものを嫌いになったことは無かった…筈だった、が、母の父に対する愚痴を聞かされ、同意を求められ続けている内に”父を嫌い”だと思い込むようになっていた。

長じて二十歳になった私は、酒の席で仲間たちと語らいのなかで両親の離婚の話題になった。父の嫌な部分を口にする私に一人の仲間が「そんなにお父さんが嫌いなの?」

その一言で私の呪縛が解けた。そう、嫌いなわけではなかったのだ。母が愚痴るのも当たり前の話。勝手に思い込んだのは私。母を気遣う振りをして楽な方に逃げていたのだと気付かせて貰えた仲間には今でも感謝している。



今日は、こんな話を聞いて貰いたい人がいたのだけれど、タイミングを失ったのが残念。