2011年9月12日月曜日

恐怖のおともだち

ぶ~け・平成3年9月号に掲載された吉野朔実『いたいけな瞳』第15話のタイトル。この作品中で吉野朔実は「恐怖」を次の様に定義、分析している。

「”恐怖”の正体は理解不可能な対象に遭遇した時、人間の本能が知らせる警戒警報です。対象を理解し対処法を考える。対処できれば恐怖は消えます。」

10年前の9.11テロによって、米国は恐怖に陥れられたのか?それとも恐怖の渦に世界中を巻き込んだのか?

Wikipediaによるとテロルの語源は、フランス大革命末期のジャコバン派による恐怖政治体制より来ている。権力側の行為に名付けられたのが、その後、反体制側の暴力的手段を指すように変化していった。

アフガニスタンに侵攻したソ連に対する武装抵抗勢力の一つだったタリバーン。群雄割拠する抵抗勢力たちを強力に支援していたパキスタンを通じてCIAも援助を行っていた。ソ連が撤退した後には安定化のため米国などから支援された時期もあるが、意に沿わぬと見ればパキスタンにも圧力をかける。
致し方無いとも言えるが、ソ連侵攻時には世界中に報道されるも撤退後は尻すぼみ。「世界中から気ままに扱われて見捨てられる。」という”恐怖”が彼らの中にはあったのかも知れない。彼らの”恐怖”が9.11という”恐怖”を産み、それまでは国家間に定義されていた戦争が、「テロとの戦争」という名の”恐怖”の拡散をも含むものに広げられてしまった。

テロとの戦争が始まるまでの間 言論統制令が発令されたかのように、9.11の被害者や家族は正直な心情を吐露できない”恐怖”を味わったという。

”新たな警戒警報”が発令されている米国が”対処”できる日は来るのだろうか?

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